日本歴史地名大系 「馬鞍山城跡」の解説 馬鞍山城跡うまのくらやまじようあと 岡山県:笠岡市山口村馬鞍山城跡[現在地名]笠岡市山口山口(やまぐち)の北東部、標高二二四メートルの馬鞍山山頂にある。永禄八年(一五六五)小田政清の築城といい(小田物語)、政清は小田神戸山(おだかんどやま)城(現小田郡矢掛町)から当城へ移り笠岡方面への進出を図ったと思われる。小田氏は戦国期、庄氏の被官として成長、有力国人となった。走出の持宝(はしりでのじほう)院の灯料・梵鐘の寄進、甲弩の神護(こうののじんご)寺再建など、当地周辺諸社寺の外護者になっている。南西、新賀の諏訪山(しんがのすわやま)城は笠岡城主村上氏に対する前線基地で、「小田物語」によれば当地に進入した村上氏と小田氏との間で「手おい・死人数を知らず、紅波楯を流し、山野の草木を染めて色かわりける」激戦を展開、北西、走出境のその地を萌黄(もえぎ)原というようになったと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by