駒門新田(読み)こまかどしんでん

日本歴史地名大系 「駒門新田」の解説

駒門新田
こまかどしんでん

[現在地名]御殿場市駒門・駒門一丁目

南流する西にし川を挟んで中清水なかしみず村の西に位置し、西は大野おおの原の草原地帯が広がる。村内は本村ほんそん札場ふだば山口やまぐち久保くぼ風穴かざあなの五つの集落に分れ、村の中央を大坂おおさか村と神場じんば村を結ぶ道(関屋街道)が通る。貞享三年(一六八六)の中山村指出帳(中山区有文書)によれば中山なかやま村に住んでいた甲斐武田家遺臣小沢勘解由が開いた新田という。開発時期については諸説あるが、元禄一〇年(一六九七)の駒門新田絵図(小沢家蔵)に寛永一四年(一六三七)の開発とあり、その頃の開発とみて間違いないと思われる。正保元年(一六四四)には小田原藩の神山三郎右衛門が勘解由の後を継いだ「駒門新田長七」に対して、先代勘解由の権利を追認する覚書(小沢家文書、以下断りのない限り同文書)を発給しており、正保元年には開発を終えていたとみることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む