駒鳴村
こまなきむら
[現在地名]伊万里市大川町駒鳴
標高二〇〇メートル台の丘陵からなる大川野盆地の北縁を占め、その中央を松浦川が曲折して北流する。洪水常襲地。慶長絵図には「子招村」と記入され、「大川野ノ内」と添書きしてある。正保絵図は「駒鳴村」。松浦川沿岸の小字名に東新田・西新田・白木鶴・網立・上鶴・松土井などがある。
「松浦拾風土記」に駒鳴峠の記事がある。
<資料は省略されています>
唐津―長崎の最短コース唐津往還(塚崎往還・長崎道ともいう)は駒鳴峠を通過した。鞍部を堀切にしても標高一五〇メートルの峠は難所であった。文化九年(一八一二)伊能忠敬の測量隊が通り「字七曲、駒鳴村、左右駒鳴峠、木生繁し、急に下る。石坂、江州の鈴鹿山に似たり」と測量日記にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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