高井谷村(読み)たかいだにむら

日本歴史地名大系 「高井谷村」の解説

高井谷村
たかいだにむら

[現在地名]淀江町高井谷

稲吉いなよし村の南西にあり、集落は高台に細長く形成される。拝領高一一〇石余、本免三ツ九歩。竹運上銀二匁七分が課されていた(藩史)。寛永一〇年(一六三三)の役屋数五(「田畑地詰帳」宇田川村史)。宝永七年(一七一〇)の反別は田六町余・畑二町六反余。家数八・人数四二、牛四(同書)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一二四石余、竈数二四。村内には天の真名井あめのまないという湧水があり、いずみ川となって宇田うだ川に合流するが、高井谷原の開墾が行われ、泉川を用水とする農耕が進むにつれ当地への移住が進んだ(宇田川村史)。また水難から逃れるために当地に移住する者もあった(淀江町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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