高倉福信 たかくらの-ふくしん
709-789 奈良時代の公卿(くぎょう)。
和銅2年生まれ。高句麗(こうくり)系の渡来人福徳の孫。相撲の力をみとめられて内裏につかえる。諸国の国司を歴任,従三位にのぼり天平神護(てんぴょうじんご)3年造宮卿兼但馬守(たじまのかみ)となった。のち弾正尹(だんじょうのいん)兼武蔵(むさしの)守。延暦(えんりゃく)8年10月17日死去。81歳。武蔵高麗(こま)郡(埼玉県)出身。肖奈(しょうな),高麗,高倉と立身ごとに改姓。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の高倉福信の言及
※「高倉福信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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