高倉藤平(読み)タカクラ トウヘイ

20世紀日本人名事典 「高倉藤平」の解説

高倉 藤平
タカクラ トウヘイ

明治・大正期の実業家 堂島米穀取引所理事長;北浜銀行頭取。



生年
明治7年11月1日(1874年)

没年
大正6(1917)年9月7日

出生地
堺県岸和田(現・大阪府岸和田市)

経歴
岸和田の素封家に生れ、家業の木綿商を営むが、綿糸の思惑買いで失敗。のち北浜、堂島出入り、明治29年株式仲買店を開くが多額の損失を被り閉店。36年米穀取引所仲買人となり、翌年株式仲買人も兼ね、日露戦争後の財界膨張と株式界の波瀾に乗じて奇利を博し、巨富を築いた。40年堂島米穀取引所理事、45年同理事長に就任。投機界の成功者として保険、銀行界にも関与、浪速火災保険、有隣生命保険の各社長、北浜銀行頭取をはじめ大正銀行、京都貯蓄銀行、太平銀行、日本冷蔵、帝国土地、伊勢電気鉄道などの重役として多方面にわたり活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「高倉藤平」の解説

高倉藤平

没年:大正6.9.7(1917)
生年:明治7.11.1(1874)
明治大正期の実業家。大阪岸和田の木綿商の長男。明治33(1900)年大阪市南堀江に両替店を開き株式仲買業を営むが失敗。38年再び堂島浜通りに米穀仲買店を開き株式仲買を兼業。米穀,堂島米穀取引所の株の買い占めで一躍勇名をはせ41年同取引所監査役,42年理事,44年理事長に就任。他に日本冷蔵をはじめ保険,銀行,土地,鉄道など諸会社に関係し経営手腕を発揮した。特に北浜銀行破産整理は好評を博した。41年大阪朝日新聞社主催世界一周旅行時に野村徳七と調査した『漫遊土産・欧米取引所』誌は取引所改善によせた熱意がうかがえる。<参考文献>吉弘茂義『高倉藤平伝』

(津川正幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高倉藤平」の解説

高倉藤平 たかくら-とうへい

1874-1917 明治-大正時代の実業家。
明治7年11月1日生まれ。大阪岸和田で家業の木綿商をつぐ。堂島・北浜で米穀取引所仲買人・株式仲買人となり財をなした。大正元年堂島米穀取引所理事長。浪速火災保険社長,北浜銀行頭取などをつとめた。大正6年9月7日死去。44歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高倉藤平」の解説

高倉 藤平 (たかくら とうへい)

生年月日:1874年11月1日
明治時代;大正時代の実業家。堂島米穀取引所理事長
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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