高原城跡(読み)たかはるじようあと

日本歴史地名大系 「高原城跡」の解説

高原城跡
たかはるじようあと

[現在地名]高原町西麓

西麓にしふもとの市街地の北方、北・東・西の三方を谷に囲まれた台地上にある山城。松ヶ城ともよばれ、もともと島津氏の城であったと伝えるが(三国名勝図会)築城の時期などは不明。明応三年(一四九四)志和池しわち(現都城市)を攻略した北原氏の兵が退いたという「高原」は当城のことか(「閑暇吟」旧記雑録など)。また大永四年(一五二四)にも北原氏は高原などに城を構え、北郷忠相に敵対した(「庄内平治記」など)。永禄七年(一五六四)までに高原は伊東氏の支配下に入り(同年四月二二日「最上宗檜別紙副状」同書)、当城は伊東四十八城の一となり城主は福永源左衛門尉であった(日向記)。伊東氏は元亀二年(一五七一)冬の頃より真幸まさきへ発向し、小林を拠点として高原などに番兵を置いて島津方に対した(「箕輪伊賀覚書」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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