高城塩田(読み)たかぎえんでん

日本歴史地名大系 「高城塩田」の解説

高城塩田
たかぎえんでん

[現在地名]松島町高城・磯崎

高城川河口から磯崎いそざきの南西部にわたる一帯の地域にあった塩田。最盛期の塩田面積は三〇町歩(三〇ヘクタール)内外と推測されるが、中期以降の面積はその半分以下であったようである。「仙台領遠見記」は「高城磯崎引続たる所にて、海辺に汐場あり。東西弐百四十間南北三丁余。釜屋七軒、釜大サ七尺四方、一昼夜に五充方するよし。塩場肝入組抜並伊藤彦十郎と云」と記す。伊藤氏は奈和良屋といった。

仙台藩の塩田の開発は東薺塩場碑によれば、寛永年間(一六二四―四四)に長州の伊藤(奈和良)信茂によって行われたもので、創業の場所は亘理わたり鳥屋崎とやざき(現亘理町)牡鹿おしか渡波わたのは(現石巻市)、高城浜とされている。しかし「封内風土記」や「下総行徳塩業史」などによれば鳥屋崎の塩業は、牡鹿長渡ふたわたし(現牡鹿町)の人伊藤三郎左衛門が元和六年(一六二〇)に始めたもので、牡鹿郡流留ながる(現石巻市)製塩は流留の人菊地与惣右衛門が、寛永年間に下総行徳ぎようとく(現千葉県市川市)から移入したもので、享保年間(一七一六―三六)に改良するまで行徳の笊取法をまねたものと伝えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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