高城本郷(読み)たかぎほんごう

日本歴史地名大系 「高城本郷」の解説

高城本郷
たかぎほんごう

[現在地名]松島町高城

「たかき」ともいう。うら(現桜川)の下流高城川流域に位置。石巻いしのまき街道が通り宿駅であった。北は根廻ねまわり初原はつばら両村、東は松島丘陵の残丘愛宕あたご山より南に走るむかえ山によって磯崎いそざき村、西は白坂しらさか山によって桜渡戸さくらわたしど村、南はたか山によって松島村にそれぞれ接し、高城川の河口付近で松島湾に面する。「東遊雑記」に「松島より北七八町に高城と云村あり。此所は塩浜数多にして、此地へも汐入のもやう一かたならず、松島より北の方にある島々見え渡り、その景いはんかたなく」とある。

中世には竹城たかき(高城)保に属し、磯崎村とともに長田ながた村とよばれた。正和二年(一三一三)一一月二三日の相馬通胤譲状(大悲山文書)に子息行胤の妹夜叉に譲り渡す分として「竹城保内長田村内蒔田屋敷并田」がみえ、その所在地の東限は「竹城河」とある。高城川のことであろう。なお高城川疎水開削以前の流路は、当地の字西柳にしやなぎ付近から東流して迎山山麓を洗って海へ注いでいたと伝えるが、このことは、迎山山麓の水田がきわめて卑湿な低地帯であることや高城塩田開発の際の付帯工事と思われる迎山の掘削(土樋谷でさらに丘陵を掘穿して磯崎に通水した工事)などから妥当性が認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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