高堀村(読み)たかほりむら

日本歴史地名大系 「高堀村」の解説

高堀村
たかほりむら

[現在地名]福野町高堀・野尻野のじりの

上野うえの村の北東に位置し、村の中央を野尻口のじりぐち用水が流れる。口碑によれば、東の高屋たかや(現井波町)からの移住者によって村立てされたという。元和五年(一六一九)の家高新帳による役家数は「高ほり」七、ほかに「高堀之内新村」二。正保郷帳では高二九七石余、田方一九町六反余・畑方二反、新田高二三二石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(高堀区有文書)では草高五八七石、免三ツ七歩、小物成は野役一三匁、鮎川役二匁(ほか一二匁は退転)。享保八年(一七二三)の手上高一〇〇石などにより天保一〇年(一八三九)の高七二四石、ほかに当村領として享保二年の新開高二石余がある(「高物成帳」菊池家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む