朝日日本歴史人物事典 「高場乱」の解説
高場乱
生年:天保3(1832)
幕末明治期の医師,教育家。筑前(福岡県)住吉村の眼科医高場延山の次女。幼名らん。野村望東の従妹。亀井昭陽につき儒学を修め,家業を継ぐ。帯刀男装し乗馬で患家をまわった。20代半ばに興志塾を起こし,のちに玄洋社の中心となる箱田六輔,進藤喜平太,頭山満らを出した。明治10(1877)年の西南の役に際して塾生らがこぞって西郷派に呼応し,乱も嫌疑を受け捕らえられた。赦されてのち,向陽義塾(のちの玄洋社),漸強義塾で教え,閉鎖後は眼科医として余生を送った。<参考文献>『玄洋社社史』
(中嶌邦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報