日本大百科全書(ニッポニカ) 「高尾太夫」の意味・わかりやすい解説
高尾太夫
たかおだゆう
江戸・新吉原の三浦屋に抱えられていた遊女。万治(まんじ)~宝暦(ほうれき)年間(1658~1764)の約100年間に数人の高尾がいるが、人数は特定できず詳細には諸説がある。同名の太夫が続くのは、各娼家(しょうか)が通り名として襲名させる習慣によるもので珍しくはなく、近世初期には吉野、高橋、初音などが同様に数代に及ぶ名妓(めいぎ)と伝えられる。各代の高尾は、逸話とそれが何代目であるかが確定できないため、身請けした人の名前などで区別している。有名な伊達(だて)侯に請け出されたものは仙台高尾(または万治高尾)といい、ほかに西条高尾、駄染(だぞめ)高尾(または紺屋高尾)、榊原(さかきばら)高尾、子持ち高尾などが知られる。大田南畝(なんぽ)、山東京山(さんとうきょうざん)をはじめ数種の『高尾考』が著され、歌舞伎(かぶき)や浄瑠璃(じょうるり)の題材にも多く使用されている。
[原島陽一]