新吉原(読み)シンヨシワラ

デジタル大辞泉 「新吉原」の意味・読み・例文・類語

しんよしわら〔シンよしはら〕【新吉原】

江戸時代明暦の大火後に日本橋から浅草に移転した遊郭の呼称。→吉原

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精選版 日本国語大辞典 「新吉原」の意味・読み・例文・類語

しん‐よしわら‥よしはら【新吉原】

  1. 江戸時代、江戸浅草の北部(東京都台東区千束四丁目)にあった遊郭の呼称。明暦三年(一六五七)の大火後、日本橋葺屋町にあった吉原遊郭が移転してできた。周囲に鉄漿溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる総堀をめぐらし、出入口は大門(おおもん)口だけの一方口とし、中央に仲の町と呼ばれる道路があり、郭内を二分した。江戸町一・二丁目、京町一・二丁目、角町の五丁町のほかに、揚屋町伏見町・堺町などに区分された。北。北国。北里。江北。雁門(がんもん)。三焼野。
    1. [初出の実例]「明暦三年中に大きなる火のなんに一時のけふりと成しより此かた、そのとしの秋の比町を此所にうつされしにこそ新よし原なんいひける」(出典:評判記・高屏風くだ物語(1660)下)

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日本歴史地名大系 「新吉原」の解説

新吉原
しんよしわら

[現在地名]台東区千束せんぞく三―四丁目

浅草寺北西方、日本にほん堤南側にあった幕府公認の遊廓。新吉原町ともよばれ、また吉原とも通称された。元和三年(一六一七)に公許され、同四年開業した吉原(元吉原、現中央区)は日本橋北東方、浜町はまちよう堀の南西岸にあったが、明暦二年(一六五六)一〇月、日本堤近辺か本所への移転を命じられた。吉原年寄らの希望により新地は日本堤近隣と決まり、移転の条件として従来の二町四方から五割増の二町×三町の場所の確保、従来の昼間のみの営業から昼夜営業の許可、移転費用として一万五〇〇両(小間一間につき一四両)の下賜、さらに吉原内で髪洗女という名目で遊女を置いていた風呂屋の全面禁止、火消等の町役免除が認められた。移転は同三年二月の予定であったが、同年一月一八日の大火(明暦大火)により焼失、小屋掛けで商売を行ったのち同年六月代地への移転が命じられた。ただし家作普請が終わるまでは近隣の今戸いまど村・山谷さんや村・新鳥越しんとりごえでの仮宅営業が許されて同月一五―一六日に移転、八月初めには普請が完成して営業が開始された。以後新吉原の呼称が生じた。新吉原内には元吉原もとよしわらから移転してきた江戸えど町一丁目・同二丁目・きよう町一丁目・同二丁目・すみ町の五町(五丁町)のほか、五町中に二、三軒ずつあった揚屋(遊女を招いて遊興をさせる家)を一ヵ所に集めて揚屋あげや町が取立てられた。寛文八年(一六六八)にはさかい(境町)伏見ふしみ町が取立てられている(享保一〇年「新吉原町由緒」御府内備考)

新吉原の周囲は「おはぐろどぶ」と俗称される幅五間の堀が巡らされ、出入口は北東日本堤方面に設けられた大門口一ヵ所であった。日本堤から大門へは五拾間ごじつけん道とよばれる蛇行した道を経て達した。大門内からはなかの町と称される通りが南西に貫き、両側に茶屋が並ぶ。大門内側には遊女が客を出迎えた待合辻まちあいつじがあり、仲の町に面して北側に置かれた四郎兵衛しろべえ番屋が出入りを監視した。仲の町西端は魚市場となっていた。仲の町北側には大門側から江戸町一丁目・揚屋町・京町一丁目が並び、北裏の堀沿いは西河岸となっていた。仲の町南側には大門側から伏見町・江戸町二丁目・堺町・角町・京町二丁目が並び、南裏の堀沿いは伏見町河岸・南ワル河岸・羅生門河岸となっていた。堀沿いの四隅にはそれぞれ稲荷社が設けられていた(「芳原細見図」東京大学総合図書館蔵など)。各地から吉原へ入るには浅草寺東側の馬道うまみちを経る道筋、北西下谷竜泉寺したやりゆうせんじ町方面からの道筋、大川(隅田川)山谷堀からの道筋とおもに三路があったが、いずれも日本堤を経て大門から入った。

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百科事典マイペディア 「新吉原」の意味・わかりやすい解説

新吉原【しんよしわら】

吉原

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世界大百科事典(旧版)内の新吉原の言及

【浅草】より

…田原町,仲町,三軒町,諏訪町,駒形町など,1613年(慶長18)幕府から拝領した同寺領(500石)内の門前町の発展がとくに著しく,59年(万治2)町奉行支配に編入された。このかいわいは,明暦の大火(1657)で全焼した日本橋の遊郭吉原が日本堤下に移され,新吉原として再生するにおよんで,物見遊山や参詣を兼ねた人が一段と数を増し,しだいに江戸随一の繁華街となった。 三社権現(三社さま)の三社祭,鷲神社(お酉さま)の酉の市,浅草寺の四万六千日(ほおずき市),歳の市(羽子板市)などの開催日には群衆が山をなし,これらの祭りや行事は現在までひきつがれてにぎわいをみせている。…

【吉原】より

…これは江戸の市街の発展に伴い,かつての葭原が商業地帯に近接した繁華地となったための政策の見直しであり,翌57年の明暦大火による類焼は移転を決定的とし,業者らは浅草山谷(現,台東区千束4丁目)の地を選び,同年8月に移転を完了した。以後この地を〈新吉原〉と呼ぶのに対し,旧地を〈元吉原〉と称するようになった。新吉原への移転に反対した業者に対し,幕府は敷地の5割増,引越料1万両余の下付,夜業の許可,火消役などの町役免除を条件とした。…

※「新吉原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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