浅草寺北西方、
新吉原の周囲は「おはぐろどぶ」と俗称される幅五間の堀が巡らされ、出入口は北東日本堤方面に設けられた大門口一ヵ所であった。日本堤から大門へは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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…田原町,仲町,三軒町,諏訪町,駒形町など,1613年(慶長18)幕府から拝領した同寺領(500石)内の門前町の発展がとくに著しく,59年(万治2)町奉行支配に編入された。このかいわいは,明暦の大火(1657)で全焼した日本橋の遊郭吉原が日本堤下に移され,新吉原として再生するにおよんで,物見遊山や参詣を兼ねた人が一段と数を増し,しだいに江戸随一の繁華街となった。 三社権現(三社さま)の三社祭,鷲神社(お酉さま)の酉の市,浅草寺の四万六千日(ほおずき市),歳の市(羽子板市)などの開催日には群衆が山をなし,これらの祭りや行事は現在までひきつがれてにぎわいをみせている。…
…これは江戸の市街の発展に伴い,かつての葭原が商業地帯に近接した繁華地となったための政策の見直しであり,翌57年の明暦大火による類焼は移転を決定的とし,業者らは浅草山谷(現,台東区千束4丁目)の地を選び,同年8月に移転を完了した。以後この地を〈新吉原〉と呼ぶのに対し,旧地を〈元吉原〉と称するようになった。新吉原への移転に反対した業者に対し,幕府は敷地の5割増,引越料1万両余の下付,夜業の許可,火消役などの町役免除を条件とした。…
※「新吉原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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