高屋築山古墳(読み)たかやつきやまこふん

日本歴史地名大系 「高屋築山古墳」の解説

高屋築山古墳
たかやつきやまこふん

[現在地名]羽曳野市古市五丁目

安閑天皇陵に治定される。古市(ふるいち)集落南方の高屋丘陵の北端に、前方部をほぼ西に向けて築かれた前方後円墳。墳丘の全長一二一メートル、前方部幅九八メートル・高さ一三メートル、後円部直径七五メートル・高さ一四メートル。幅約二〇メートルの濠が巡らされている。前方部の幅が後円部直径よりも長く、前の山(まえのやま)古墳や白髪(しらが)古墳などとともに、古市古墳群のなかでは南に片寄る新しいグループに入る古墳。中世には高屋城の本丸として利用された。享保年間(一七一六―三六)に出土し、西琳(さいりん)寺に寄進されたと伝える切子ガラス碗があり、ほとんど同形のものが正倉院にあることでも知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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