日本歴史地名大系 「高山御厨・高山庄」の解説 高山御厨・高山庄たかやまのみくりや・たかやまのしよう 群馬県:藤岡市高山御厨・高山庄伊勢神宮領。高山を遺称地とし、大塚(おおづか)を北方として栗須(くりす)・高山字白塩(しらしお)辺に至る鮎(あゆ)川流域から、東方の神田(じんだ)一帯に及ぶ。現藤岡市域の大半が庄域にあったと推定される。「玉葉」安元元年(一一七五)一一月一四日条に当御厨が武蔵国児玉(こだま)庄の濫行を訴えたとあって、同庄との相論が起こっていた。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神主請文写(神宮雑書)によると、天承元年(一一三一)の建立で永治二年(一一四二)宣旨によって認められたという。二宮領で没官地であった。供祭物は内宮・外宮ともに白布一〇端と雑用料一〇反とある。「神鳳鈔」には「二百八十町 二宮 各四丈布十段内口入十段」とある。推移は不明であるが南北朝期には領家職は摂津氏がもち、暦応四年(一三四一)の摂津親秀大間帳(美吉文書)で惣領の能直に譲られている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by