朝日日本歴史人物事典 「高山長五郎」の解説
高山長五郎
生年:天保1.4.17(1830.6.7)
明治前期の蚕業改良家,指導者。上野国緑野郡高山村(群馬県藤岡市)の農民高山寅三の次男。名は重礼,長五郎は通称。18歳で家督を継ぎ,養蚕飼育法の研究に打ちこみ,明治1(1868)年,温暖育と清涼育を折衷した清温育と称する新しい飼育法を完成した。同3年には自宅内に高山組を組織して門下生の指導を開始,6年からは授業員(養蚕教師)を各地に派遣して巡回指導に当たらせた。17年,社員136人の協議により官許を得て養蚕改良高山社を設立。長五郎病没の翌20年,同社の事務所と伝習所が藤岡町に移設,分教場が群馬県内に122カ所,県外に10カ所設立され,33年には社員約2万人,授業員500人,生徒600人におよんだ。34年,伝習所は町田菊次郎らが甲種実業学校の認可を受け,私立高山社蚕業学校に発展した。<参考文献>『群馬県蚕糸業沿革調査書』,養蚕改良高山社編『高山長五郎翁略伝』
(井上定幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報