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高山長五郎 たかやま ちょうごろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高山長五郎 たかやま-ちょうごろう

1830-1886 幕末-明治時代の養蚕家。
文政13年4月17日生まれ。上野(こうずけ)緑野郡高山村(群馬県藤岡市)の人。清温育と名づけた蚕の飼育法を考案,用具も改良する。明治17年養蚕改良高山社を創立し社長となり,養蚕業の発展につくした。明治19年12月10日死去。57歳。名は重礼。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

高山長五郎

没年:明治19.12.10(1886)
生年:天保1.4.17(1830.6.7)
明治前期の蚕業改良家,指導者。上野国緑野郡高山村(群馬県藤岡市)の農民高山寅三の次男。名は重礼,長五郎は通称。18歳で家督を継ぎ,養蚕飼育法の研究に打ちこみ,明治1(1868)年,温暖育と清涼育を折衷した清温育と称する新しい飼育法を完成した。同3年には自宅内に高山組を組織して門下生の指導を開始,6年からは授業員(養蚕教師)を各地に派遣して巡回指導に当たらせた。17年,社員136人の協議により官許を得て養蚕改良高山社を設立。長五郎病没の翌20年,同社の事務所と伝習所が藤岡町に移設,分教場が群馬県内に122カ所,県外に10カ所設立され,33年には社員約2万人,授業員500人,生徒600人におよんだ。34年,伝習所は町田菊次郎らが甲種実業学校の認可を受け,私立高山社蚕業学校に発展した。<参考文献>『群馬県蚕糸業沿革調査書』,養蚕改良高山社編『高山長五郎翁略伝』

(井上定幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の高山長五郎の言及

【養蚕】より

…春蚕だけでなく夏・秋蚕も行う者が増加し,1912年には生産量の40%台を夏・秋繭が占めるまでになる。飼育法は田島弥平(現,群馬県佐波郡境町)のように清涼育を主張する者もあったが,同県の高山長五郎(現,群馬県藤岡市)が清涼育と温暖育を折衷した清温育=補温育を考案して,1873年に養蚕改良高山組(のち高山社)を通じて普及に乗り出してから,清涼育,温暖育はしだいに駆逐されていった。養蚕業は農家の副業として行われていたが,群馬,福島,長野,山梨,埼玉,山形などの先進養蚕地ではかなり大規模な経営を行うものも現れた。…

※「高山長五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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