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七月王政 しちがつおうせいMonarchie de Juillet

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

七月王政
しちがつおうせい
Monarchie de Juillet

1830年七月革命の結果出現したフランス王政。大銀行家と一部の工業資本家の支持を受けて成立,1848年の二月革命まで存続したオルレアンルイ・フィリップの時代をさす。国王1814年憲章を修正しブルボン正統主義を否定したが,制限選挙制は引き継がれ,小市民層,労働者層は政治から排除された。そのため,共和主義者は議会外の小市民層,労働者層の運動を基盤として,銀行資本を背景とする自由主義ブルジョアジーに対立した。また政府と議会内のオルレアン王朝派は,自由主義的改革に積極的な「運動派」と改革に保守的な「抵抗派」に分かれ,この政体の不安定性は 1840年にフランソア・ギゾー内閣が成立するまで続いた。当時,フランスでは産業革命が発展し,各種の産業が繁栄したが,一方,それに伴って失業と低賃金を招き,これまでにない労働者階級の運動の高揚をみることになり,1831年リヨンで絹織物労働者の大規模な反乱,1832~34年パリでストライキが勃発した。外政面では 1833~34年オーストリア,プロシアに対抗してイギリスに接近し,次いでアドルフ・ティエールルイ・マチュー・モレらによって対外友好政策が進められたが,フランスの外交上の孤立は東方問題の際現れた。また 1847年アルジェリアを領有し,フランス植民地主義の第一歩を踏み出した。(→フランス史

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百科事典マイペディアの解説

七月王政【しちがつおうせい】

1830年フランスの七月革命で成立したルイ・フィリップの王政。立憲君主制下に制限選挙制をしき,大ブルジョアジー,金融資本家が支配した。この間産業革命が始まり産業ブルジョアジーの興隆と労働運動の発生がみられた。
→関連項目改革宴会ギゾーティエールブルボン[家]

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世界大百科事典 第2版の解説

しちがつおうせい【七月王政 Monarchie de juillet】

1830年の七月革命で成立したフランスの王政。オルレアン朝のルイ・フィリップを国王とし,48年の二月革命第二共和政が実現するまで続いた。社会的には,ようやく軌道にのり始めた資本主義的工業化と,伝統的生活様式や生活習慣との間の緊張が激化してきた時代である。
[政体]
 七月革命の直後,1814年の王政復古に際しルイ18世が欽定した〈憲章〉の修正が行われ,神聖不可侵の世襲王権を規定したその前文は廃止された。

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大辞林 第三版の解説

しちがつおうせい【七月王政】

七月革命で成立したフランスの立憲王政。1848年の二月革命で倒れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

七月王政
しちがつおうせい
Monarchie de Juilletフランス語

フランスで七月革命の結果成立したルイ・フィリップの王政(1830~48)。[服部春彦]

一般的性格

1830年7月のパリ民衆の蜂起(ほうき)によって復古王政が打倒されたのち、ラフィットを中心とする議会の自由主義政治家は、民衆が望んだ共和国の出現を阻止して、オルレアン公ルイ・フィリップによる七月王政を樹立した。彼らは、国民主権の立場から「1814年の憲章」に修正を加え、ブルボン王権の正統性を説くその前文を削除するとともに、「フランス人の王」の称号や三色旗の採用によって、新しい王政のフランス革命とのつながりを強調した。新憲章はまた、旧憲章が認めていた国王の緊急勅令発布権や上院議員の世襲制を廃止し、国王とともに上下両院にも法律発議権を与えたが、しかし国王はなお執行権の独占をはじめ広範な権限を認められており、国制上、議会の優位が確立されたとはいえない。実際、ルイ・フィリップは、イギリス風の立憲君主たることに満足せず、自ら「君臨しかつ統治する」ことを望んだので、治世の前半には議会や内閣としばしば対立することになった。また、国王、内閣は議会に対する影響力を強化するために、議員への行政ポストの分配によって多数の官吏議員をつくりだしたが、このような行政府と議員の癒着による議会政治の歪曲(わいきょく)は七月王政の一つの特徴であった。しかしこの点にもまして重要なのは、この時期にも厳重な制限選挙制が維持され、国民の圧倒的多数が依然、政治参加への道を閉ざされていたことである。31年4月の選挙法は、下院の選挙人および被選挙人となるのに必要な納税額を若干引き下げたが、しかし選挙権所有者はなお20万人前後(総人口の0.6%)にとどまったのである。
 フランスにおける産業革命は19世紀初頭に始まったが、七月王政期はその本格的展開期にあたっている。この時期に綿工業、羊毛工業では、紡績工場への蒸気機関の導入と織布工程の機械化が進み、鉱山・製鉄業でも新技術が急速に広まり、また1823年に始まった鉄道建設も46年には営業キロ数1000キロメートルを超えた。復古王政下の旧貴族にかわって七月王政下に支配階級を形成したのは、ブルジョア地主と大銀行家、大商人、大工業家であったが、政治の主導権を握っていたのは、しばしば金融貴族とよばれる実業大ブルジョアであった。しかし、産業革命の進展とともに繊維工業を中心に中小の産業資本家層が目覚ましい成長を遂げ、彼らは上層ブルジョアの寡頭支配に対して不満を強めるに至る。さらに、大資本の支配の下で貧困の度を強めた伝統的手工業部門の小親方、労働者層は、議会内外の共和主義者と提携して激しい抵抗運動を展開した。[服部春彦]

政治過程

七月革命によって政治権力を握ったオルレアン派ブルジョアは、自由主義的改革に積極的な運動派と保守的な抵抗派とに分かれていた。革命後最初に政権を担当したのは運動派のラフィットであったが、社会的騒乱の収拾に失敗して1831年3月解任され、抵抗派のペリエがかわって内閣を組織する。以後48年まで抵抗派は幾人かの首相のもとで政権の座にとどまることになる。31~34年にはリヨンの絹織物労働者の二度にわたる反乱をはじめ、共和派と小市民、労働者による騒乱が頻発したが、抵抗派政府は軍隊を動員して民衆騒乱を厳しく弾圧するとともに、言論、出版、結社に対する統制を強めて反体制運動の抑圧に努め、35年までに上層ブルジョアの支配体制を確立した。ついで36~39年のモレLouis Mathieu, comte Mol(1781―1855)内閣の時代には、国王が政治に積極的に介入するに至る。首相の権限は縮小され、大臣職は国王に忠実な二流の人物によって占められ、議会には政府の意のままに動く多数の官吏議員がつくりだされた。しかしこのような国王の個人統治に対しては、ギゾー、チエールらを中心に議会政治擁護の同盟が形成され、39年3月の下院選挙で政府派を破った。この39年には、経済不況を背景にパリでブランキら革命的共和派の暴動が起こり、選挙権拡大運動が各地で高揚を示した。翌40年には外交面でも首相チエールが東方問題でイギリスに対して強硬策をとり、対イギリス協調を重視する国王と上層ブルジョアの不安を増大させた。このような情勢下に国王は40年10月チエールを解任して、保守派のギゾーに組閣を命じた。
 ギゾーは、国王の支持のもとに1847年9月までは外相、その後は首相として政局を担当したが、鉄道会社に対して国庫による資金援助を行うなど大工業、銀行資本の利益を図る一方、選挙権拡大を含む政治・社会改革をかたくなに拒否し続けた。46、47年の経済恐慌は、ギゾー政府に対する中小ブルジョア、労働者、農民の不満をいっそう激化させ、オディロン・バローCamille Hyacinthe Odilon Barrot(1791―1873)らの王朝的反対派は共和主義者と提携して改革宴会運動を展開するに至った。48年に入り、ギゾー政府がこれを禁圧したことから、2月22日パリに民衆蜂起が起こり(二月革命)、七月王政は倒れたのである。[服部春彦]
『服部春彦「フランス復古王政・七月王政」(『岩波講座 世界歴史19 近代6』所収・1971・岩波書店) ▽中木康夫著『フランス政治史 上』(1975・未来社)』

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世界大百科事典内の七月王政の言及

【ティエール】より

…これは七月革命の発生を促す契機となり,蜂起した民衆は共和政の実現を期待した。しかし彼はラフィットやカジミール・ペリエらとともにルイ・フィリップを擁立し,七月王政を樹立させた。 この七月王政下の32年から34年まで,彼は内相となる。…

※「七月王政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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