高平庄(読み)たかひらのしよう

日本歴史地名大系 「高平庄」の解説

高平庄
たかひらのしよう

延久三年(一〇七一)六月二四日の太政官符(九条家文書)によると「字高平庄」とみえ、後三条天皇による延久の庄園整理令に伴って「高平庄」が調査された結果、庄内に公田はなく藪沢を開発したものとあり、従前どおり正子内親王家領と定められた。治承四年(一一八〇)五月一一日の皇嘉門院惣処分状(同文書)に九条家分のなかに摂津国「たかひら」とあり、皇嘉門院(藤原忠通の女聖子)から甥の九条良通に譲渡されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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