高木恭造(読み)タカギ キョウゾウ

20世紀日本人名事典 「高木恭造」の解説

高木 恭造
タカギ キョウゾウ

昭和期の方言詩人,眼科医



生年
明治36(1903)年10月12日

没年
昭和62(1987)年10月23日

出生地
青森県青森市

学歴〔年〕
弘前高校理科(旧制)卒

主な受賞名〔年〕
日本現代詩人会先達詩人〔昭和62年〕

経歴
大正15年青森日報社に入社。のち、満州医大に学び、眼科医を開業。満鉄病院勤務中終戦を迎える。青森日報時代、詩人・福士幸次郎の勧めで津軽弁で詩を書き始める。方言詩集「まるめろ」は昭和6年以来、4版を重ねる人気で自ら朗読もし、若者にも支持を得た。ほかに「高木恭造詩文集」(3巻)、自伝的回想「幻の蝶」、J・カーカップ英訳「高木恭造詩選集」などがある。命日にちなんで“津軽弁の日”が制定された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木恭造」の解説

高木恭造 たかぎ-きょうぞう

1903-1987 昭和時代の詩人。
明治36年10月12日生まれ。福士幸次郎と出会って津軽方言による詩をかきはじめ,満州時代には安西冬衛師事。昭和6年方言詩集「まるめろ」を発表。戦後郷里の青森県にひきあげ,弘前(ひろさき)市で眼科医院を開業,かたわら「心象同人として活躍した。昭和62年10月23日死去。84歳。満州医大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android