高杉晋一(読み)タカスギ シンイチ

20世紀日本人名事典 「高杉晋一」の解説

高杉 晋一
タカスギ シンイチ

昭和期の実業家 元・三菱電機社長。



生年
明治25(1892)年3月1日

没年
昭和53(1978)年6月6日

出生地
茨城県北条町

学歴〔年〕
東京帝大法学部卒

経歴
大正6年三菱合資会社銀行部に入社。昭和18年三菱銀行名古屋支店長から三菱電機監査役、20年常務。公職追放で残った重役高杉が22年社長に就任。朝鮮動乱後、特需ブームに乗じて会社を再建。31年会長、37年相談役。日本輸出入プラント技術協会会長としてインドマレーシアなどへの経済視察団長となり、経団連の経済協力委員長を10年余務めた。40年には日韓会談日本政府代表となり、途中「高杉失言」もあったが調印にこぎつけた。44年海外経済協力基金総裁。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高杉晋一」の解説

高杉晋一 たかすぎ-しんいち

1892-1978 昭和時代後期の経営者,財界人
明治25年3月1日生まれ。大正6年三菱合資銀行部に入社。昭和22年三菱電機社長となる。40年大詰めをむかえた日韓会談の日本側首席代表となり,交渉を最終合意にみちびく。44年より海外経済協力基金総裁をつとめた。昭和53年6月6日死去。86歳。茨城県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高杉晋一」の解説

高杉 晋一 (たかすぎ しんいち)

生年月日:1892年3月1日
昭和時代の実業家。三菱電機社長;海外経済協力基金総裁
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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