朝日日本歴史人物事典 「高松凌雲」の解説
高松凌雲
生年:天保7.12.15(1837.1.21)
幕末明治期の医者,社会福祉事業家。筑後国(福岡県)御原郡古飯村生まれ。幼名権平,のち荘三郎。石川桜所,緒方洪庵,J.C.ヘボンらに師事。慶応1(1865)年一橋家軍制所付表医師,慶応3年徳川昭武の随員としてパリに行き,公務を解かれたあと同地で医学を学ぶ。明治1(1868)年帰国,榎本武揚と共に五稜郭の戦に加わり,敵味方なく負傷者の手当てに当たったが,これは赤十字思想のわが国における初期の実践とされる。敗戦後の2年阿波(徳島)藩預けとなるが,翌年には解かれ,東京浅草に医院を開く。西南戦争でも負傷者の治療に当たった。12年,同愛社を設立して貧民救療事業を行ったが,これは民間社会福祉事業の先駆である。内務省地方衛生会委員,東京医会の役員などを歴任。谷中墓地に葬られる。著訳書『保嬰新書』『虎列剌病論』『内科枢要』など。<参考文献>伴忠康『高松凌雲と適塾』,後藤清治『高松凌雲の生涯』
(長門谷洋治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報