日本歴史地名大系 「高松殿跡」の解説 高松殿跡たかまつどのあと 京都市:中京区城巽学区津軽町高松殿跡醍醐天皇の皇子で西宮左大臣ともよばれた源高明の邸宅跡。「拾芥抄」は「姉小路北、西洞院東、高明親王家」とし、同書東京図も東三条(ひがしさんじよう)院の南一町の同位置に載せる。これは現津軽(つがる)町全域と三坊西洞院(さんぼうにしのとういん)町・神明(しんめい)町・橋之(はしの)町の一部にあたる。源高明の女明子はここに住して高松殿とよばれ、父高明が安和の変で大宰府(だざいふ)(現福岡県太宰府町)に流された時、盛明親王の養女となり、のち藤原道長の室となったことは「栄花物語」巻三や「大鏡」巻五に詳しい。また「左経記」寛仁元年(一〇一七)一一月二二日条には、小一条院(三条天皇皇子、敦明親王)が「今夜始御高松殿」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by