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敦明親王 あつあきらしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

敦明親王 あつあきらしんのう

994-1051 平安時代中期,三条天皇の第1皇子。
正暦(しょうりゃく)5年5月9日生まれ。母は藤原娍子(せいし)。長和5年後一条天皇皇太子にたてられたが,藤原道長の圧迫をうけ,翌年その地位を辞した。一品(いっぽん)。太上天皇に准じられ小一条院の院号をうける。道長の娘を妃とし,長久2年出家した。「金葉和歌集」などに和歌がある。永承6年1月8日死去。58歳。法名は天舜。

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世界大百科事典 第2版の解説

あつあきらしんのう【敦明親王】

994‐1051(正暦5‐永承6)
三条天皇の皇子。母は皇后娍子(じようし)(藤原済時女)。三条天皇は後一条天皇(一条天皇皇子)への譲位に際し,藤原道長の意に反して親王の立太子を実現したが,道長は東宮に伝えるべき壺切の剣を渡さぬなど圧迫を加えたのでその地位は不安定で,父上皇の没後ついに東宮を辞し,後一条天皇の同母弟敦良親王(後朱雀天皇)が道長の望みどおり東宮となった。以後は上皇に準じて小一条院と号し,道長も女の寛子を妃とし優遇したが,もとの妃の延子と,その父藤原顕光の悲嘆は大きく,その死後は道長一家にたたる怨霊として恐れられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

敦明親王
あつあきらしんのう
(994―1051)

平安中期の皇族。三条(さんじょう)天皇の第1皇子で母は皇后(じょうし)。藤原道長は三条天皇に譲位を迫り、1016年(長和5)女(むすめ)である中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)の生んだ一条天皇皇子敦成(あつなり)親王を即位させ、後一条天皇とした。道長は東宮にも敦成親王の弟敦良親王をたてようとしたが、三条天皇の強い意向で敦明親王がたてられた。しかしその後道長は種々の圧迫を加えたため、敦明親王は翌年東宮を辞し、太上(だいじょう)天皇に準じて院号宣下(せんげ)を受け、小一条院と称された。[福井俊彦]
『山中裕著『平安人物志』(1974・東京大学出版会)』

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