高橋光威(読み)タカハシ ミツタケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高橋光威」の解説

高橋 光威
タカハシ ミツタケ


肩書
衆院議員,「大阪新報主筆

生年月日
慶応3年12月(1867年)

出生地
越後国北蒲原郡(新潟県)

学歴
慶応義塾法科〔明治26年〕卒

経歴
福岡日日新聞社に入り、間もなく渡欧、ケンブリッジ大などで法律、経済を学び、農商務省嘱託としてトラストについて研究、出版。また米国製鉄王カーネギー著書を翻訳「米国繁昌記」として出版。カーネギーの招きで渡米、帰国後福日主事。のち原敬の大阪新報主筆となり、原内閣成立で内閣書記官長。明治41年以来新潟県から衆院議員当選8回。日魯漁業、大北漁業各監査役も務めた。

没年月日
昭和7年4月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「高橋光威」の解説

高橋 光威
タカハシ ミツタケ

明治〜昭和期のジャーナリスト,政治家 衆院議員;「大阪新報」主筆。



生年
慶応3年12月(1867年)

没年
昭和7(1932)年4月9日

出生地
越後国北蒲原郡(新潟県)

学歴〔年〕
慶応義塾法科〔明治26年〕卒

経歴
福岡日日新聞社に入り、間もなく渡欧、ケンブリッジ大などで法律、経済を学び、農商務省嘱託としてトラストについて研究、出版。また米国製鉄王カーネギーの著書を翻訳「米国繁昌記」として出版。カーネギーの招きで渡米、帰国後福日主事。のち原敬の大阪新報主筆となり、原内閣成立で内閣書記官長。明治41年以来新潟県から衆院議員当選8回。日魯漁業、大北漁業各監査役も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋光威」の解説

高橋光威 たかはし-みつたけ

1867-1932 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応3年12月生まれ。「福岡日日新聞」主筆から原敬(たかし)の経営する「大阪新報」の主筆をへて原の秘書官となる。明治41年から衆議院議員に連続8回当選。原内閣の内閣書記官長をつとめ,原の没後政友会の総務となった。昭和7年4月9日死去。66歳。越後(えちご)(新潟県)出身。慶応義塾卒。訳書にカーネギー「米国繁昌記」。

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