福岡日日新聞(読み)ふくおかにちにちしんぶん

改訂新版 世界大百科事典 「福岡日日新聞」の意味・わかりやすい解説

福岡日日新聞 (ふくおかにちにちしんぶん)

第2次大戦前,福岡発行されていた有力地方紙前身は1877年3月創刊の《筑紫新聞》だが,同紙は9月廃刊。78年12月《めざまし新聞》として再興,79年《筑紫新報》,80年《福岡日日新聞》と改題した。福岡地方初の日刊紙で,自由民権主義の機関紙だったため,政争にからみ受難の時代もあったが,征矢野半彌(そやのはんや)社長時代(1891-1912)にその積極政策により全国屈指の地方紙に発展した。1901年地方紙で初めてマリノニ輪転機を採用,明治末から各県に切替版を発行して九州全土に部数を伸ばし,21年から朝夕刊制を実施している。不偏不党主義に対し征矢野は〈偏理偏党〉を唱え,政治的には政友会系だったが,政党代弁はしないと強調した。32年に起こった五・一五事件に際して,菊竹六鼓(ろつこ)主筆社説で敢然と軍部を批判したことは有名である。戦時統合により対抗紙《九州日報》と合同し,42年8月10日《西日本新聞》となった。
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百科事典マイペディア 「福岡日日新聞」の意味・わかりやすい解説

福岡日日新聞【ふくおかにちにちしんぶん】

西日本新聞》の前身で,第2次世界大戦前に福岡で発行されていた日本の代表的地方紙。1877年創刊の《筑紫新聞》を前身とし,廃刊,改題を経て1880年《福岡日日新聞》として刊行されるようになる。民権派の機関紙の性格をもった。明治末期,同社は佐賀に《佐賀日日新聞》,熊本に《熊本日日新聞》を発行。五・一五事件に際して,主筆菊竹六鼓が軍部を批判したことは有名。1942年《九州日報》と合併し《西日本新聞》となった。

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デジタル大辞泉プラス 「福岡日日新聞」の解説

福岡日日新聞

日本の地方新聞ひとつ。1880年、「筑紫新報」を改題して創刊。のちに「九州日報」と合併して、「西日本新聞」となる。

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世界大百科事典(旧版)内の福岡日日新聞の言及

【西日本新聞】より

…本社,福岡。1942年8月,戦時新聞統合により《福岡日日新聞》を主体に《九州日報》を統合して創刊された。第2次大戦後の47年,労働組合の経済闘争からおこった西日本新聞争議では,編集権侵害事件をひきおこしたが,この争議は〈読売争議〉〈北海道新聞争議〉とならぶ新聞界の三大争議といわれ,日本新聞協会の〈新聞編集権の確保に関する声明〉のきっかけとなった。…

※「福岡日日新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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