20世紀日本人名事典 「高橋瑞子」の解説
高橋 瑞子
タカハシ ミズコ
明治・大正期の医師 日本で3人目の女医。
- 生年
- 嘉永5年10月24日(1852年)
- 没年
- 昭和2(1927)年2月28日
- 出生地
- 三河国西尾(愛知県)
- 学歴〔年〕
- 紅杏塾〔明治15年〕卒,済生学舎
- 経歴
- 9人兄弟の末子に生まれ、11歳で両親を失くし、25歳の時上京、伯母の養女となる。明治12年前橋の津久井磯子に産婆術を学び、再び上京、15年産婆免状を取得。大阪病院勤務の後、医師の予備校・済生学舎に直談判で入学、21年11月開業試験に合格し日本橋で高橋医院を開く。23年38歳の時ドイツに留学、ベルリン大学婦人科教室客員となるが、1年後病で帰国。大正3年60歳で廃業宣言。ザンギリ頭の気骨の人として知られ、遺体を解剖提供するよう遺言して死去。編書に父・驥六郎の遺稿集「春河流(すがる)集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報