高津尾村(読み)たかつおむら

日本歴史地名大系 「高津尾村」の解説

高津尾村
たかつおむら

[現在地名]中津村高津尾

高津尾川と伊佐いざの川が日高川に合流する地に位置する大村。「続風土記」に「高津尾は高尾にて山の尾筋の高きを以ていふ、此辺の大村にて人家大川の側に散在し、又渓間にあれは小名多く本村の外五つあり、今名別に村となれり」とあり、「分村」として広瀬ひろせ村・伊佐野川いさのがわ村・尾曾おそ村・小原長滝おはらながたき村、「枝郷」として中木ちゆうき村を記す。しかし天保郷帳では高津尾村一村で記される。

慶長検地高目録では村高三五五石余、小物成一・一六七石。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」によれば高津尾村の総田畑数は三五町一反余で三五九石余。内訳は、本村が田畑一一町五反余で高一四一石余、家数三四(うち本役一六・半役五・無役五・杖突一・年寄一など)、人数一四六、池二、牛三、鉄砲四、御蔵一、尾曾は田畑五町一反余で高四五石余、家数一一(うち本役四・半役一・無役三・年寄一・桶屋二)、人数五一、牛五、鉄砲一、池一、小原長滝は田畑三町三反余で高三〇石余、家数八(うち本役四・半役一・無役三)、人数三五、牛三、鉄砲一、広野ひろの(中木)は田畑四町八反余で高五四石余、家数一七(うち本役五・半役五・無役五・庄屋一・年寄一)、人数六一、牛五、鉄砲一、池一、御蔵一、広瀬は田畑四町二反余で高三六石余、家数一五(うち本役四、半役五、無役四、庄屋・年寄各一)、人数六五、牛二、鉄砲二、御蔵一、伊佐野川は田畑六町余で五一石余、家数一三(本役七・半役三・無役二・年寄一)、人数六四、牛五、鉄砲二、御蔵一であった。


高津尾村
たかつおむら

[現在地名]小倉南区高津尾

むらさき川と東谷ひがしたに川の合流地の南側にある。秋月街道が通る。元和八年人畜改帳に高津尾村とみえ、高一九三石余、家数二二、人数四五(うち百姓六・名子三)、牛八・馬一。郷村高帳では高二六六石余、うち新田高三九石余。幕末の各村覚書では本高二二七石余、田一八町六反余・畠三町八反余、物成一一四石余、竈数四五・家数七四・人数一七六、牛二七・馬一〇。旧高旧領取調帳では高二四六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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