日本歴史地名大系 「高田四ッ家町」の解説 高田四ッ家町たかだよつやまち 東京都:豊島区高田四ッ家町[現在地名]豊島区目白(めじろ)一―二丁目・雑司が谷(ぞうしがや)二―三丁目・高田(たかだ)二丁目、文京区目白台(めじろだい)一丁目など下高田(しもたかだ)村のうち、東西に走る清戸(きよと)道や同道から分岐して鬼子母(きしも)神社に至る道に沿って形成された町屋で、延享二年(一七四五)町方支配となった(文政町方書上)。下高田村は幕府領と関口(せきぐち)蓮華寺領・牛込宗参(そうさん)寺領・同済松(さいしよう)寺領、済松寺寺中芳心(ほうしん)院領の相給で、当町はこれらのうちの宗参寺・済松寺・蓮華寺の各寺領中に形成され、芳心院領内には高田四ッ家下モ(たかだよつやしも)町が形成された。済松寺領は清戸道の両側町で、町の長さはおおよそ東西三町五二間余(道幅四間とも)、幅は南北三二間(道幅五間とも)。北東は宗参寺領の高田四ッ家町、ほかは下高田村の畑地・百姓家が取囲む。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by