高田焼平山窯跡(読み)こうだやきひらやまかまあと

日本歴史地名大系 「高田焼平山窯跡」の解説

高田焼平山窯跡
こうだやきひらやまかまあと

[現在地名]八代市平山新町 船河内

船河内ふながわち高台の自然傾斜を利用した八代焼登窯跡。県指定史跡。登窯の勾配一五度、長さ二〇メートル、幅は基部一・四メートル、内部は九室に分れる。八代焼は寛永九年(一六三二)細川三斎に従って豊前国上野あがの(現福岡県田川郡)から八代にきた朝鮮の焼物師尊楷(上野喜蔵)が翌一〇年高田の木下谷きくだしだに(現奈良木町)に焼窯を構えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む