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上野喜蔵 あがの きぞう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上野喜蔵 あがの-きぞう

1566-1654 朝鮮の陶工。
明宗21年生まれ。2代上野忠兵衛の父。朝鮮釜山城主尊益の子尊楷という。文禄(ぶんろく)・慶長の役のとき加藤清正につれてこられる。豊前(ぶぜん)田川郡上野(あがの)郷(福岡県)で上野焼を,肥後(熊本県)八代郡(やつしろぐん)高田(こうだ)郷で八代焼(高田焼)を創始した。承応(じょうおう)3年8月3日死去。89歳。別名に忠兵衛(初代),十時甫快(ととき-ほかい)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

上野喜蔵

生年:生没年不詳
安土桃山・江戸初期の陶工。一説に朝鮮,慶尚南道泗川の出身と伝えるが,明らかではない。慶長3(1598)年ごろに肥後(熊本県)の加藤清正に従って日本に渡来し,はじめ唐津に住したが,7年細川忠利が小倉に入城した折,招かれて製陶に従ったともいう。この間の経緯は江戸後期の史料『本朝陶器考証』『工芸鏡』などによっているため,真偽のほどはたしかめられないが,5人扶持の士分格の待遇を受けていたという。寛永9(1632)年忠利が肥後に転封されると,喜蔵は八代に移り,八代焼を興した。しかし,現在でも福岡県田川郡赤池町にある上野窯では喜蔵を始祖として信仰している。<参考文献>永竹威「上野・高取」(『陶磁大系』15巻)

(矢部良明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の上野喜蔵の言及

【上野焼】より

…福岡県田川郡赤池町上野に築かれた陶窯。唐津焼と同じく朝鮮半島から渡来した陶工尊楷(日本名上野喜蔵)が,領主細川忠興の命をうけて1601年(慶長6)同地に窯を築いたとされる。22年(元和8)の《田川郡家人畜御改帳》には,上野村焼物山の条に焼物師8名の存在がしるされている。…

※「上野喜蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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