朝日日本歴史人物事典 「上野喜蔵」の解説
上野喜蔵
安土桃山・江戸初期の陶工。一説に朝鮮,慶尚南道泗川の出身と伝えるが,明らかではない。慶長3(1598)年ごろに肥後(熊本県)の加藤清正に従って日本に渡来し,はじめ唐津に住したが,7年細川忠利が小倉に入城した折,招かれて製陶に従ったともいう。この間の経緯は江戸後期の史料『本朝陶器考証』『工芸鏡』などによっているため,真偽のほどはたしかめられないが,5人扶持の士分格の待遇を受けていたという。寛永9(1632)年忠利が肥後に転封されると,喜蔵は八代に移り,八代焼を興した。しかし,現在でも福岡県田川郡赤池町にある上野窯では喜蔵を始祖として信仰している。<参考文献>永竹威「上野・高取」(『陶磁大系』15巻)
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報