陶磁器焼成用の半連続窯。3/10~5/10の傾きをもった傾斜地に,断面がかまぼこ形あるいは馬蹄形をした焼成室を横に上部に向かって3~6室連結する。焼成室は下部から一の間,二の間と順次に呼ばれ,それぞれに被焼成物を詰めておく。ふつうは一の間の下部に胴木(どうぎ)間,捨間が設けられる。燃料は松の割木(薪(まき))である。まず,胴木間で薪をたき,捨間で火炎を和らげ,一の間,二の間,三の間の順に加熱していく。各間の焼成は両側の壁にある差木口から薪を投入して行う。下部の間の排熱により上部の間が予熱されるため熱効率がよく,また傾斜地を利用しているため燃焼がよい。偶然性を期待する陶芸では好んで使うが,煤煙による公害問題と燃料の松薪の確保が困難になってきたため,立地と使用回数に制約が大きくなっている。丸窯系,古窯系,京窯系,益子窯系など各地に土と製品に合致した形式の窯が作られている。
→窯
執筆者:清水 紀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
製陶窯の一形態。傾斜地に縦に舟形の溝を掘り、天井をかぶせた簡単な単室の窯は登窯の原始形態で、これをとくに窖(あな)窯とよんで区別することもある。しかし、狭義には連房式登窯をさす。これは焼成室(房)を隔壁(狭間(さま))で仕切って連続させた長大な窯で、窖窯より経済的で熱効率もよく、大量生産が可能である。構造は、最前端に焚口(たきぐち)をつくり、胴木間(どうぎま)、灰間(はいま)、第一焼成室、第二焼成室と続く。数室から、大きいものでは十数室の房を連ね、最後に煙突をつける。燃料は松の割り木で、先ほどの焚口のほかに各室の左右に薪(まき)を入れる差木(さしき)口をつけ、第一房から次々に焼成する仕組みである。中国・朝鮮で開発され、日本では桃山時代の16世紀に朝鮮半島渡来の技術を生かして唐津(からつ)焼に初めて築かれた。以来急速に各地に普及した。
[矢部良明]
傾斜地の斜面にそって傾斜した窯体を作った窯。斜面をトンネル状に掘った地下式,斜面を溝状に掘りくぼめて天井部を「すさ」入り粘土で架構した半地下式,全窯体が地上にある地上式に大別される。地下式のものを窖(あな)窯(沈み窯),半地下式のものを浮き窯ともよぶが,両者を窖窯とよぶこともある。還元焔(かんげんえん)焼成に適した窯で,須恵器や瓦などの焼成に用いられた。地下式登窯は5世紀代に朝鮮半島から伝来し,平安時代に至るまで存続。この間,須恵器工人と瓦工人との間に技術交流がなされ,瓦も須恵器用の登窯で焼かれるようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…陶芸作品,小規模の耐火物焼成などに使われている。バッチ窯にも単独窯と登窯の区別がある。丸窯および角窯は回分式焼成を行うのに最も簡便な単独窯で,これには,炎が下から被加熱物に当たる昇炎式と,ドーム形の天井に当たった炎が下向きに反射して焼く倒炎式とがある。…
…造瓦所に属する施設の一部であり,ほかに瓦製作に従事する工人の作業所である〈瓦屋〉〈造瓦屋〉〈瓦竈屋〉などと一体となって工房を形成していた。瓦窯には構造によって登窯(のぼりがま)と平窯(ひらがま)とがある。登窯の名称は,製陶用の窯に関して従来から陶芸家や研究者の間でそう呼ばれているもので,その構造は傾斜面に沿って下から上に向かって地表に数室を連続させた連房式となっている。…
※「登窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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