高石北村(読み)たかいしきたむら

日本歴史地名大系 「高石北村」の解説

高石北村
たかいしきたむら

[現在地名]高石市高師浜たかしのはま一―三丁目・東羽衣ひがしはごろも六―七丁目・加茂かも一―三丁目・西取石にしとりいし一丁目・同三丁目

今在家いまざいけ村の南にあり、村内を紀州街道が縦貫草部くさべ(現堺市)にある鶴田つるた池の余水がかも川となって南東から流出し、当村から今在家村へ流れ込む。海浜部は歌枕でもあった景勝地高師の浜である。

寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では幕府領「綾井高石村」二千五一三石余に含まれる。慶安元年(一六四八)綾井高石あやいたかいし村は高石村(一千五二九石余)綾井村(九八四石余)に分れ(井上家文書)、延宝七年(一六七九)の高石村検地帳(鬼洞文庫蔵)によると、古検高一千五五八石余・新検高一千九一五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報