高石村
たかいしむら
[現在地名]麻生区高石・百合丘一―三丁目
南北を丘陵に囲まれ、東は五反田村、南西は都筑郡万福寺村、南は同郡王禅寺村、北は細山村に接する。本村・ちちくはん・塔の越などの小字がある。田園簿に村名がみえる。
天正一九年(一五九一)以降旗本加々美領。「風土記稿」によれば当村を開墾した五人の草分百姓を五苗と称すると記す。宝永二年(一七〇五)甲州道布田宿(現東京都調布市)の助郷村となり、助郷高一〇〇石(「甲州道中布田五宿助郷村高帳」東京都石井文書)。天保一一年(一八四〇)の相模国高座郡大沼新田(現相模原市)中里源兵衛の炭売あげ帳(相模原市中里文書)によれば、同家で生産される炭は当村源左衛門方などへ輸送され、当地の生産炭とともに江戸方面へ出荷された。
高石村
たかいしむら
[現在地名]木島平村大字往郷
北より西にかけては北鴨ヶ原・南鴨ヶ原村、南は庚新田村に接している。馬曲川に沿っているため、氾濫の災害を多く被ったので開発も遅れ、慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳では、村高は八九石三斗七升二合である。本村の初出は次の市川信房寄進状(泉竜寺文書)である。
高石村
たかいしむら
[現在地名]糸貫町上高屋
高屋村の南東部に位置する枝村であったが、正保三年(一六四六)大垣藩の内検で高一〇一石余で本村から分離した。しかし郷帳類には村名がみえず、大垣藩内の行政上の分村であったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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