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高野幽山 たかの ゆうざん

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美術人名辞典の解説

高野幽山

俳人。通称孫兵衛、名は直重、号は幽山・丁々軒、晩年に竹内為入と改名。京都生、江戸住。松江重頼門。諸国を歴遊し、奥州名所八色の句を集める等、好事家として知られている。芭蕉が江戸に出た時、幽山の執筆を務めたという話もある。貞門出ではあるが、時流につれて、談林へと変わった。著書に池西言水山口素堂との共著『江戸八百韻』、『歌林名所考』等がある。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高野幽山 たかの-ゆうざん

?-1702 江戸時代前期の俳人。
松江重頼(しげより)にまなぶ。寛文のころ全国を旅し,「和歌名所追考」「誹枕(はいまくら)」をあらわす。延宝2年ごろ江戸にうつり,江戸談林俳諧(はいかい)の中心となった。晩年伊勢(いせ)(三重県)久居(ひさい)藩主藤堂高通につかえ,竹内為入と改名した。元禄(げんろく)15年9月14日死去。京都出身。名は直重。通称は孫兵衛。別号に丁々軒。編著に「江戸八百韻」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

高野幽山

没年:元禄15.9.14(1702.11.3)
生年:生年不詳
江戸前期の俳人。名は直重。通称は孫兵衛。丁々軒と号す。晩年は竹内為入と号したという。初め京に住して,俳諧を松江重頼に学ぶ。寛文(1661~73)のころは,諸国を行脚し,その実績をもとに『和歌名所追考』12冊を出版。延宝2(1674)年ごろには江戸に下り,重頼の友人で奥州磐城平の城主内藤風虎の周辺で活躍した。修業時代の松尾芭蕉が,幽山の記録係を勤めたとの伝もある。延宝8年には,『誹枕』を刊行。やがて頭角をあらわしていく芭蕉と入れかわるごとく,俳壇から姿を消していく。晩年は,江戸から藤堂高通(俳号は任口)が初代藩主として立藩した久居(三重県)に移住した。

(楠元六男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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