デジタル大辞泉
「松江重頼」の意味・読み・例文・類語
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まつえ‐しげより【松江重頼】
- 江戸初期の俳人。俳号は維舟。俗称大文字屋治右衛門。松永貞徳に師事。門下に鬼貫、言水などがいる。編書に「犬子集」「毛吹草」「佐夜中山集」など。慶長七~延宝八年(一六〇二‐八〇)
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松江重頼
没年:延宝8.6.29(1680.7.24)
生年:慶長7(1602)
江戸初期の俳人。晩年は維舟と号す。京都の人で大文字屋治右衛門と称する富裕な商人であったという。松永貞徳に師事して古典の教養を身に付けたと思われるが,連歌を里村昌琢 について学び,このころ西山宗因と知り合った。新興の文芸である俳諧に早くから興味をもち,野々口立圃と共に俳諧選集を作ることを企画,寛永10(1633)年『犬子集』を出版。本書は近世俳諧の出発点となった。正保2(1645)年に『毛吹草』を出版したことが契機となって,貞徳直系の人々との間に確執が生じ,様々な攻撃を受けたが,こうした攻撃に屈するような人ではなく,『毛吹草』を非難した池田正式に対し,果たし状を突き付けたと『滑稽太平記』に記されている。正式は武士であり重頼は町人だが,正式の方から詫び状を入れて事が収まったという。その後次々と俳書を出版し,そのためにかなりの財産を失ったといわれるが,それを証明するように選集は次第に小規模になっている。それと軌を一にして貞徳門の中から新しい俳人が次々と俳壇に進出,重頼の俳壇的勢力は次第に後退していった。<参考文献>中村俊定『俳諧史の諸問題』,田中善信『初期俳諧の研究』,乾裕幸『周縁の歌学史』
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松江重頼
まつえしげより
[生]慶長7(1602).松江
[没]延宝8(1680).6.29. 京都
江戸時代前期の俳人。俗称,大文字屋治右衛門。別号,維舟,江翁。早くから京都に住み撰糸 (せんじ) 売りを業とした。連歌を里村昌琢に,俳諧を松永貞徳に学び,寛永 10 (1633) 年『犬子集 (えのこしゅう) 』を刊行。この編集をめぐって野々口立圃と対立し,貞徳門を離れ,以後精力的な活動を展開し,大部の俳書を次々に編集,出版した。貞門俳人中では進歩的な作家で,蕉風に近い句も多く,その門下から鬼貫,言水らを出し,談林俳諧の総帥西山宗因にも影響を与えた。編著『毛吹草』 (1645) ,『毛吹草追加』 (47) ,『佐夜中山集』 (64) ,『俳諧時勢粧 (はいかいいまようすがた) 』 (72) など。
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松江重頼 まつえ-しげより
1602-1680 江戸時代前期の俳人。
慶長7年生まれ。京都の撰糸(せんじ)商。里村昌琢(しょうたく)に連歌を,松永貞徳に俳諧(はいかい)をまなんだが,寛永10年には貞門をはなれる。「犬子(えのこ)集」「毛吹草」「懐子(ふところご)」「佐夜中山集」などを出版し,俳諧の発展に貢献。西山宗因と親交をもつ。延宝8年6月29日死去。79歳。通称は大文字屋治右衛門。別号に維舟,江翁。
【格言など】誹諧の姿やさしく言葉には花をさかせて風流もがな(「戯童子十首」)
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世界大百科事典(旧版)内の松江重頼の言及
【重頼】より
…江戸前期の俳人。姓は松江,通称は治右衛門,別号は維舟,江翁。出雲国松江の生れと伝えられるが,早くから京都に住し,撰糸(せんじ)売を営んで大文字屋を号した。貞門七俳仙に加えられるが,本来は里村南家の2代昌琢(しようたく)に連歌と俳諧を学び,北家出身の貞徳とは文学的にも感情的にもむしろ対立的関係にあり,俳諧最初の類題句集《[犬子(えのこ)集]》(1633)の編集をめぐって,共編者である北家出身の立圃(りゆうほ)と意見が衝突,袂を分かったのをきっかけに,貞徳との不和も表面化した。…
※「松江重頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」