改訂新版 世界大百科事典 「高麗大蔵経」の意味・わかりやすい解説
高麗大蔵経 (こうらいだいぞうきょう)
高麗で彫板・印刷された大蔵経。高麗で大蔵経の彫板が最初に着手されたのは,第8代顕宗のとき(1020,21年ごろ)で,彼が父母追善のために創建した玄化寺への仏典収集を契機としていた。この事業は多年を費やして,1087年(第13代宣宗時)に完成した。この板木は慶尚北道大丘の符仁寺に所蔵されていたが,1232年,前年から高麗侵略を開始していた蒙古の兵火ですべて焼失した。当時高麗の実質的支配者だった崔氏政権は,蒙古の退散を祈願して,大蔵経板木の復刻を図り,1236年に着手して,51年に完成した。8万1000余枚に及ぶ板木は,現在も慶尚南道陝川の海印寺に完全に保存され,朝鮮の貴重な文化遺産となっている。
執筆者:北村 秀人
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