韓国,慶尚南道陝川郡伽倻面にあり,韓国三大寺刹の一つ。802年(新羅哀荘王3)入唐僧の順応と理貞によって創立。伽藍は峻峰伽倻山中腹の一稜線上に西面する。西から解脱門,九光楼,大寂光殿(本堂),経板庫がそれぞれ4区の壇上一直線に並び,九光楼と大寂光殿との中間に三層石塔を配した一塔並列式の伽藍配置をもち,李朝末期の建築ながら完備した伽藍は半島随一の偉観を誇る。三層石塔は創建時の造立と思われる。伽藍最上部の大蔵経板庫は,1488年(李朝成宗19)竣工になり,寄棟屋根の2棟が相対して並びたつ。現存する大蔵経の版木は,高麗の高宗が蒙古軍退散を祈願して1236年から14年間にわたって完成したもので,もとは江華島にあったが,李朝太祖(在位1392-98)の時にこの寺に移された。海印寺は数度の火災にもかかわらずそのたびに再建され,また《高麗大蔵経(こうらいだいぞうきょう)》の版木の保存に努めた。現在同版木は韓国の国宝に指定されている。
執筆者:宮本 長二郎
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韓国(大韓民国)、慶尚南道陝川(せんせん)郡伽倻(かや)面にある寺。伽倻山(牛頭(ごず)山)海印寺と号する。新羅(しらぎ)第39代哀荘王(あいそうおう)が、積年の病をいやした順応(じゅんおう)、順貞(じゅんてい)の2僧のために802年に建立したと伝える。王は唐より大蔵経を求め、海印寺に蔵経閣を建立して納めた。のち高麗成宗(こうらいせいそう)代以来、数次にわたって大蔵経を刊刻するが、その再彫板木は海印寺に架蔵され、いわゆる『海印寺板高麗蔵』が成立した。高麗時代の盛時は七堂伽藍(がらん)および数百の殿堂・僧舎が甍(いらか)を並べて壮大な規模を誇ったが、李(り)朝代のたび重なる戦火で古来の建物の多くを焼失した。しかし、国宝の蔵経板木を納める修多羅蔵(しゅたらぞう)と、法宝殿(ほうぼうでん)は1488年の建造である。通度寺、松広寺と並ぶ韓国三大寺刹(じさつ)の一つである。この寺は1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[里道徳雄]
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…本書は,このような雪峰に集大成される唐代各地の祖師禅の成果で,文僜には別に《千仏新著諸祖頌》があって,迦葉(かしよう)より馬祖に至る祖師の賛を集めていて,本書のそれぞれの章末に付録される。本書に遅れること50年,北宋の1004年(景徳1)に《伝灯録》30巻が成立し,勅許によって入蔵,本書は《伝灯録》の盛行に圧せられて,中国にその伝を断つが,高麗高宗が彫造する高麗版《大蔵経》の補版として,その32年(1245)に開版され,現在の本は,韓国慶尚南道の伽倻山海印寺に存する版木により,今世紀にはじめて印刷された。《伝灯録》が各時代にわたって開版され盛行したために,その本文にかなりの異本を生むのに比し,本書は今まで読まれなかったために,かえってよく原型を保存しており,語文,思想,歴史などの面で,敦煌文献につぐ新資料として高い価値をもっている。…
※「海印寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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