鬼沢村(読み)おにざわむら

日本歴史地名大系 「鬼沢村」の解説

鬼沢村
おにざわむら

[現在地名]額田町夏山なつやま

おと川支流の夏山川と寺野てらの川の合流地点付近に集落が立地。東は柿平かきひら村・片寄かたよせ村、西は桜井寺さくらいじ村、南は樫野山かしのやま村、北は寺野村と各々山で接する。

中世男川おとがわ庄夏山郷に属したという。天文年間(一五三二―五五)には作手つくで(現南設楽郡作手村)城主奥平氏の一族である但馬久正が郷内平針ひらばりに居城していた。天正一八年(一五九〇)岡崎城主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)より幕府領。同九年の青木勘右衛門奉行による検地では夏山村とある(柿平区有文書)

鬼沢村
おにざわむら

[現在地名]弘前市鬼沢

岩木山の北東山麓にあり、弘前城下から鰺ヶ沢あじがさわ(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に向かう鰺ヶ沢街道に沿う。北は小友おとも村、南は高杉たかすぎ村、東は楢野木ならのき村に接する。

天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鬼沢」とある。寛永一七年(一六四〇)の津軽百助宛の津軽信義黒印知行宛行状(国立史料館蔵)に村名がある。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の鼻和はなわ郡に村名があり、村高三二四・一八石、うち田方は二九六・一八石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報