魔堂村(読み)えんまどうむら

日本歴史地名大系 「魔堂村」の解説

魔堂村
えんまどうむら

[現在地名]守山市焔魔堂町

二町(ふたまち)村の北に位置。中山道が通る。北は守山宿。円魔堂・閻魔堂とも記した。永正元年(一五〇四)本願寺実如が西誓に下付した絵像(徳永寺蔵)に「栗本郡閻魔堂村惣道場」とあり、元亀二年(一五七一)四月の印岐志呂(いきしろ)神社(現草津市)の祭礼馬上帳(高田文書)によれば「ゑんまたう」より三四〇文が納められている。寛永石高帳によれば高二五一石余。正保郷帳では山城淀藩領。反別は田二四〇石余・畑一一石余(慶安高辻帳)。中山道守山宿への助郷高は二五一石であったが、文政七年(一八二四)にはうち八八石が以後二〇ヵ年の休高として認められ、嘉永二年(一八四九)にも七五石が以後一五ヵ年の休高として認められている(守山甲共有文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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