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小野篁 おののたかむら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小野篁
おののたかむら

[生]延暦21(802)
[没]仁寿2(852).12.22.
平安時代前期の漢詩人,歌人。小野妹子の子孫で,岑守 (みねもり) の子。少年時代弓馬に熱中したが,嵯峨天皇のいさめで学業に励んで大学に学び,『令義解 (りょうのぎげ) 』の撰定に加わった。承和5 (838) 年遣唐副使となったが病と称して渡航せず,隠岐国に流された。

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デジタル大辞泉の解説

おの‐の‐たかむら〔をの‐〕【小野篁】

[802~852]平安前期の漢学者・歌人。清原夏野らとともに令義解(りょうのぎげ)を編纂(へんさん)。遣唐副使となったが大使と争って行かず、隠岐(おき)に流され、のち許されて参議となる。詩文は経国集和漢朗詠集扶桑集に、和歌は古今集などに収載。野宰相(やさいしょう)。野相公。

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百科事典マイペディアの解説

小野篁【おののたかむら】

平安前期の漢詩人,歌人。岑守の子。小野妹子の子孫。小野道風は孫。通称,野相公,野宰相。《令義解》の序を書き,文名が高く,草隷の書をよくした。遣唐副使となったが大使と争い,838年―840年隠岐国に流された。
→関連項目百鬼夜行横山党

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野篁 おのの-たかむら

802-853* 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)21年生まれ。小野岑守(みねもり)の長男。文章生(もんじょうしょう)となり,のち「令義解(りょうのぎげ)」の編集にくわわる。天長10年東宮学士。承和(じょうわ)元年遣唐副使となるが,5年大使とあらそって乗船せず,隠岐(おき)(島根県)に流された。のちゆるされて14年参議。従三位,左大弁。漢詩,和歌にすぐれ「扶桑集」「和漢朗詠集」「古今和歌集」などに作品がある。仁寿(にんじゅ)2年12月22日死去。51歳。通称は野相公,野宰相。
【格言など】わたの原八十島(やそしま)かけて漕(こ)ぎ出でぬと人には告げよ海人(あま)の釣舟(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野篁

没年:仁寿2.12.22(853.2.3)
生年:延暦21(802)
平安前期の公卿,文人。『凌雲集』の選者岑守の子。嵯峨天皇が武芸好きの篁をみて,父に似ぬ子と慨嘆したと聞いて発憤,学問に専心するようになったといい,その型破りの性格から野狂(粗野と小野を兼ねる)と称された。「無悪善」という落書きを,「サガ(悪)無クバ,善カリナマシ」(嵯峨天皇がいなかったら世の中がよくなるのに)と詠んで嵯峨の怒りを買ったというエピソードもある(『江談抄』)。承和1(834)年遣唐副使に任命されたが,同5年,3度目の出発のとき,大使藤原常嗣から篁の船を求められたことに憤慨,病気と偽って乗船を拒否したため隠岐に配流された。その際「西道謡」をつくって渡唐を批判したというが,詩は伝えられていない。2年後召還され,同14年,参議。博識多才で漢詩は白楽天,書は王羲之父子に匹敵するといわれたほど。『経国集』『和漢朗詠集』『古今集』などに作品を残すほか,『令義解』の編集にも携わった。冥土へ往来したとか,冥官(地獄の閻魔王の庁の役人)になったといった類の逸話が多く(『今昔物語』『江談抄』),珍皇寺(京都市東山区)や千本閻魔堂(引接寺,上京区)にはそうした伝承がある。隠岐(島根県)にも篁にまつわる幾つかの伝承を残す。京都市北区にある紫式部のそれと並ぶ土まんじゅうが,古来篁の墓とされてきた。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おののたかむら【小野篁】

802‐852(延暦21‐仁寿2)
平安時代の漢詩人,歌人。野宰相,野相公などと称される。岑守(みねもり)の子。岑守は《内裏式》《凌雲集》などの撰者として高名だが,その子篁は若年のころ弓馬に熱中して学問を顧みなかったため嵯峨天皇を嘆かせた。これによって一念発起した篁は学業に精励し,822年(弘仁13)文章生の試験に及第し,以後巡察弾正,弾正少忠,大内記,蔵人,式部少丞,大宰少弐等を歴任,833年右大臣清原夏野らとともに撰述した《令義解(りようのぎげ)》の序文を書いた。

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大辞林 第三版の解説

おののたかむら【小野篁】

802~852) 平安前期の学者・歌人・漢詩人。通称、野宰相・野相公。岑守みねもりの子。参議。清原夏野らと「令義解」を撰。博学で詩文に長じたが、性直情径行、野狂と呼ばれる。詩文は「経国残篇」「扶桑集」「本朝文粋」などに、歌は古今集にみえる。「小野篁集(篁物語)」は後人の仮託。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小野篁
おののたかむら
(802―852)

平安前期の漢詩人、歌人。小野妹子(いもこ)の子孫で、父は『凌雲(りょううん)集』の撰者(せんじゃ)小野岑守(みねもり)。一族に書家道風(とうふう)や武人好古(よしふる)がいる。参議に任ぜられて、野宰相(やさいしょう)、野相公(やしょうこう)などとよばれた。多感、俊才、あるとき嵯峨(さが)天皇が『白氏文集(はくしもんじゅう)』の一節を一部変えて示したところ、白楽天のもとの詩にまったく同じように改めたとか、「子」の字を12並べたのを、「猫の子の子猫、獅子(しし)の子の子獅子」と読んで頓才(とんさい)を示したとか、詩のすばらしさから、大臣藤原三守(みもり)の婿になれたとか、その才人ぶりは、説話化されてではあるが、『宇治拾遺物語』『十訓抄(じっきんしょう)』『江談抄(ごうだんしょう)』などにさまざまな形で伝えられている。自らをたのむところもまた強かったらしく、838年(承和5)の遣唐使派遣の際には、トラブルを起こして乗船を拒否し、ために隠岐(おき)国(島根県)配流という憂き目にもあっている。現存している作品はきわめて数が少ない。わずかに『経国(けいこく)集』以下に詩文が、『古今和歌集』以下に和歌が残されているにすぎず、大部分は散逸したようである。なお家集として『小野篁集』があるが、これは『篁物語』『篁日記』などともよばれており、実は篁説話を素材とした後人の手になる作品と考えられる。
 わたの原八十(やそ)島かけて漕(こ)ぎ出でぬと人には告げよあまの釣舟[久保木哲夫]

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世界大百科事典内の小野篁の言及

【篁物語】より

…物語。《篁日記》《小野篁集》ともいう。成立時期については平安前期・中期・末期,鎌倉初期など諸説があって一定しない。…

【珍皇寺】より

…山号は大椿山。創建については慶俊(きようしゆん)僧都の開基,また小野篁(たかむら)の開創,宝皇寺の後身といわれて異説に富む。だが,寺地が葬送所として有名な鳥辺(とりべ)山のふもとにあることから,中世以来,当寺は冥府とこの世の出入口に当たると信じられ,亡者の精霊迎えの信仰で栄え,〈六道(ろくどう)さん〉〈六道珍皇寺〉の名で親しまれた。…

【藤原常嗣】より

…翌年再度出航するが壱岐島に漂着して再び失敗,翌838年夏,やっと渡唐に成功した。この間,副使の小野篁(おののたかむら)は大使の船が不備なため副使の船と換えられたことを不満とし,病と称して出発せず,遠流に処された。839年8月新羅船に乗って大宰府に帰着し,9月に天皇から功を賞されて従三位に進められたが,半年後に没した。…

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