鮎沢村(読み)あゆざわむら

日本歴史地名大系 「鮎沢村」の解説

鮎沢村
あゆざわむら

[現在地名]甲西町鮎沢

下宮地しもみやじ村の南に位置し、南は古市場ふるいちば村。駿信往還が通る。中世の鮎沢郷の遺称地で、地元ではアイザワともよぶ。嘉禎三年(一二三七)一二月六日の関東下知状写(大善寺文書)に「鮎沢宿」がみえ、大善だいぜん(現勝沼町)住僧の訴えにより同宿の雑事などが免除されているが、これは当地にあった宿のことか。文永八年(一二七一)一〇月に造立された紀州高野山の五輪卒塔婆町石に「甲斐国胡麻鮎沢住人」の銘があり(紀伊国金石文集成)、「一蓮寺過去帳」によると、文亀三年(一五〇三)五月二六日供養の鮎沢右馬允、永正元年(一五〇四)四月七日供養の鮎沢備前守の名がみえる。鮎沢氏は当地を名字の地とした在地領主であろう。天文一〇年(一五四一)三月二一日には「西(郡カ)鮎沢江間常陸殿内方」の妙善禅定尼が逆修供養を行っている(武田家日坏帳)。弘治元年(一五五五)一一月武田晴信は、鮎沢郷に対し当地長禅ちようぜん寺に付属する家一三軒と番匠縫殿丞の家一軒の棟別銭を免除し、残りの三貫一〇〇文と惣右衛門屋敷分の二〇〇文、合計三貫三〇〇文を納めるよう命じている(同月吉日「武田晴信印判状」北村清巳家文書)


鮎沢村
あいざわむら

[現在地名]岡谷市川岸かわぎし 鮎沢

東側に山を負い、これに並行する天竜川との間の扇状地にあり、駒沢こまざわ村の北東にある。天正一八年(一五九〇)の諏訪郡御検地御高帳(諏訪郡諸村並旧蹟年代記)に「高六拾五石三斗 鮎沢郷」とある。

鮎沢村は隣の駒沢村より分れた村で、「諏訪郡諸村旧蹟年代記」に「鮎沢村始は高三十六石草高共五拾石、駒沢村より分け成と云、天正年中以前之事可成哉、其後草高百石ニ成役人出来ル安永年中産土神分る」と記されている。また同書に「寛政四年初本橋掛ル長サ拾八間、ほたる合戦五月半夏前後五日斗之内同村之辺ニ有」と記される天竜川に架けられたこの橋は、鮎沢橋あるいは大橋といった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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