鯨組墓地跡(読み)くじらぐみぼちあと

日本歴史地名大系 「鯨組墓地跡」の解説

鯨組墓地跡
くじらぐみぼちあと

[現在地名]豊玉町廻 ヌカシ

江戸時代の鯨漁師の墓地。まわり浦での捕鯨は江戸時代中期から本格的に始まるが、寛永一四年(一六三七)「仁位郡まハリ」に寄鯨があり、鯨奉行(のち寄鯨検者とよぶ)として波多野新介らが派遣され、三日間ほどいて検分や入札の手配をしている(「郡方毎日記」など)。落札者の多くは府内ふない(現厳原町)問屋商人で、村方にも解体に伴い薪代や手間稼の実入りがあった。寛文六年(一六六六)西目にしめでの捕鯨ホゲイが許された平戸町人の伊藤孫作組は尾崎おさき(現美津島町)を据浦としたが、浦続きの「烏廻り」に船を回すことができるよう出願、二―四月の間に鯨一七本を揚げた。延宝五年(一六七七)廻浦を据浦とする小田善左衛門組の二―四月間の鯨突取本数は二八本(うち小鯨九本)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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