鳥名木館跡(読み)となぎやかたあと

日本歴史地名大系 「鳥名木館跡」の解説

鳥名木館跡
となぎやかたあと

[現在地名]玉造町手賀

手賀てがの北部、字鳥名木の台地に位置する。鳥名木氏は常陸大掾の一族手賀氏の分流で、永仁年中(一二九三―九九)浄阿が二子助八郎に手賀郷内鳥名木の地を与え、鳥名木氏と称したことに始まり、その子政幹は観応二年(一三五一)所領を虎丸・阿古丸・多聞丸・弥丸の四子に分与した。室町時代に修理亮入道道政がおり、その子国義は応永二九年(一四二二)足利持氏にくみして額田ぬかだ(現那珂郡那珂町)を攻め、翌年これを攻略、同年土岐憲秀に従って小栗おぐり(現真壁郡協和町)、次いで堀内ほりうち城を攻略した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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