鳥栖庄(読み)とすのしよう

日本歴史地名大系 「鳥栖庄」の解説

鳥栖庄
とすのしよう

天満宮安楽寺草創日記(大宰府神社文書)

<資料は省略されています>

とあるように永保三年(一〇八三)安楽寺安養あんよう院に寄進されたものである。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には、勅免分安楽寺領として「鳥栖庄四十五丁二反」とみえる。近世の鳥栖村を中心とする一帯に比定できる。

観応三年(一三五二)の安楽寺領注進目録(大宰府神社文書)に「鳥栖庄」とみえ、享徳三年(一四五四)寺領荘園(同文書)中に「鳥栖御庄」とみえ、永禄三年(一五六〇)に転写された御祭騎馬貫首支配(大鳥居文書)にも荘名がみえることから、一六世紀半ば頃まで安楽寺の支配が続いていたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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