鳥波村(読み)とりなみむら

日本歴史地名大系 「鳥波村」の解説

鳥波村
とりなみむら

[現在地名]芝川町鳥並とりなみ

西山にしやま村の北西、芝川中流域に位置する。鳥並・鳥浪とも記し(「測量日記」ほか)、明治以降は鳥並と改めた。天文四年(一五三五)七月一七日の今川氏輝判物(六所文書)に「今度甲州衆、就在所鳥波放火」とみえ、当地に侵入した武田氏の軍勢によって放火されている。天正五年(一五七七)閏七月一四日、御宿友綱の知行地である油野ゆの郷のうち「とんなミかいと」の彦左衛門・縫左衛門は富士浅間社(富士山本宮浅間大社)の流鏑馬役一〇〇文を賦課されている(「武田家朱印状写」判物証文写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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