鳥生屋敷跡(読み)とりうやしきあと

日本歴史地名大系 「鳥生屋敷跡」の解説

鳥生屋敷跡
とりうやしきあと

[現在地名]今治市北鳥生町三丁目

鳥生村元面もとおも川河畔にあり、南北朝の頃鳥生又三郎貞実が住んだと伝える。貞実は河野氏の一族で、元久二年(一二〇五)河野通信が沙汰することを許された御家人三二人のうちの一人寺町十郎忠貞の末孫である。

貞実は元弘の変では宮方として武勇をみせたが、恩賞が受けられぬのを不満として足利尊氏方に属した。当時、伊予では星岡ほしのおかの戦に勝って宮方の士気が上がっていたが、各方面への出陣のすきに武家方の将岩松頼有が東予地方の回復をねらって侵入した。この時貞実は頼有軍の先鋒として活躍しており、暦応元年(一三三八)一二月の鳥生貞実軍忠状(「予陽河野盛衰記」所収)に「去建武五年後七月十七日、新居関合戦以後於庄司山要害致警固、同九月二十日御発向西条庄、追籠凶徒於郷、得重両城、取陣於福武山致軍忠之条」とあり、さらに一〇月には朝倉高市あさくらたかいちに討ち入り、宮崎山に要害を築いて府中からの宮方の追手と戦い、佐礼されい山や竜岡りゆうおか城にこれを追い込めて府中に攻め込んでいる(伊予二名集、小松邑誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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