鳥飼庄(読み)とりかいのしよう

日本歴史地名大系 「鳥飼庄」の解説

鳥飼庄
とりかいのしよう

現五色町南西の海岸部と鳥飼川流域一帯に比定される。山城石清水いわしみず八幡宮領に対する武士の狼藉停止を命じた、元暦二年(一一八五)一月九日の源頼朝下文案(石清水文書)のうちに、淡路国の庄園の一つとして「鳥養庄」の名がみえる。庄内には石清水八幡宮が勧請され、鳥飼別宮(現鳥飼八幡宮)とよばれた。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には三原みはら郡のうちに「八幡宮御領」として鳥飼庄があり、田三〇町と畠、浦一所からなる所領であった。地頭は当初国御家人の藤三守長であったが、承久の乱の後は宇治橋合戦で負傷した関東御家人佐野七郎入道が地頭となった。なお佐野七郎入道は東隣の牧石ひろいし庄の地頭も兼ねた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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