鳴戸庄(読み)なるとのしよう

日本歴史地名大系 「鳴戸庄」の解説

鳴戸庄
なるとのしよう

射水郡に存在した古代の奈良東大寺領庄園で、成戸庄とも記す。成立は天平勝宝元年(七四九)で、勅施入に基づき野地を占定した結果である。天平宝字三年(七五九)一一月一四日の東大寺越中国諸郡庄園総券(東南院文書)に「鳴戸村地伍拾捌町参段壱拾歩東南西北公田 開田参拾参町参伯拾歩 未開弐拾伍町弐段陸拾歩」とみえる。同日付の射水郡鳴戸開田地図(福井成功氏所蔵)では「鳴戸野地」と記し、射水郡一二条葦原里・沢浴里、一三条大塩上里・同中里・同下里のうちに庄地(開田・野)が展開した状態を図示している。各里内の坪名として、葦原里に葦原田・蒲田、沢浴里に小蒲田・蒲田・葦原田、大塩上里に大塩田,大塩中里に大塩田・葦原田、大塩下里に鳴戸田などがある。このうち鳴戸田は大塩下里に集中し、庄名とも一致する。総地五八町三段余のうち、開田三三町余は葦原里に一四町八段余、沢浴里に八町一段余、大塩上里に一町二段余、同中里に三町九段余、同下里に四町八段余が分布し、とくに庄地南東部の開田率が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む