鳴神遺跡(読み)なるかみいせき

日本歴史地名大系 「鳴神遺跡」の解説

鳴神遺跡
なるかみいせき

[現在地名]郡山市富久山町福原

阿武隈川西岸の標高二三〇メートル前後の氾濫原上に立地する縄文時代早期末、奈良―平安時代の集落遺跡。昭和四九年(一九七四)から同五〇年まで五次にわたり、同五五年には六次調査が行われ、竪穴住居跡三九棟・掘立柱建物跡三棟・溝跡九条・土坑一九九基が検出され、土師器須恵器・鉄製品などが出土した。隣接して西側に柿内戸かきうど遺跡、東側には西原にしはら遺跡がつながり、本来はこの三遺跡が五〇〇メートル四方に立地する同一集落と考えられる。調査は鉄道と道路の路線幅に限られたが、三遺跡合せて八四棟の住居跡が調査され、調査区外にも相当数の住居跡の存在が予想される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む