日本歴史地名大系 「鵜ノ木村」の解説 鵜ノ木村うのきむら 東京都:大田区鵜ノ木村[現在地名]大田区千鳥(ちどり)三丁目・南久が原(みなみくがはら)一―二丁目・鵜の木一―二丁目・西嶺町(にしみねまち)・南雪谷(みなみゆきがや)二丁目・雪谷大塚町(ゆきがやおおつかまち)・田園調布本町(でんえんちようふほんちよう)・田園調布(でんえんちようふ)一丁目・下丸子(しもまるこ)三―四丁目四周ほとんどを嶺村に囲まれ、東は矢口(やぐち)村、南は下丸子村、北は六郷(ろくごう)領久ヶ原(くがはら)村とわずかに接する。多摩川左岸の丘陵に位置して地形は高低相半ば、水利に恵まれない(風土記稿)。応永二七年(一四二〇)五月九日の旦那願文案(熊野那智大社文書)に紀州熊野那智社の御師廓之坊の旦那である江戸氏(惣領)一族として「うの木との」とみえ、当地に江戸氏分流鵜之木氏が蟠踞していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by